怒りは二次感情説ってほんと?
"怒りという感情は二次感情です
悲しいとか傷ついたとかみたいな
一次感情に気づいてあげて
その感情をしっかり感じてあげれば
二次感情である怒りも
自然と収まります
一次感情を大事にしましょう"
そんな感じの"怒りは二次感情説"、
けっこう出回ってますよね。
これが発展して、
怒りという感情を肯定できない文化も盛り上がってる気がします。
私も最初この話を見たか聞いたかした時は、
なるほどたしかに🤔💡
と思いました。
でも最近、
なんかそれも違くない?🤔
と思うのです。
正確には、"悪い"怒りは、
"怒りは二次感情説"で対処するのが有効だけど、
"正当な"怒りは、
"怒りは二次感情説"で対処したらマズイのでは
と思うのです。
怒りにも、"良い"怒りと"悪い"怒りがあって、
"二次感情"である怒りもあれば、"一次感情"の怒りもあるはず。
それなのに、怒りを全て悪者にしてしまうことで、
正当な、感じるべき怒りさえ感じることができず、
ちょっとマズイ状態に陥ってる人も多い気が……。
怒らなさすぎることも、精神疾患の原因になる
みたいな話も聞いたことがあって、
それもそのとおりだと思います。
だから、
"怒りは二次感情説"やらその他の考察やら、
"怒り=悪"、"怒りは不要"
という価値観の広まりって、
なんだかちょっと拡大解釈されすぎてない?と思う。
そして、
世の中に広まる価値観を鵜呑みにしたり信じたりすると、
自分にとってはロクでもないことになるなぁと思って
ちょっと恐怖を感じます。
じゃあもうちょい具体的にどういうことなのか。
私の思う良い怒り、正当な怒りってなんなのか。
一言で言うと、
理不尽な出来事や不快な出来事、自分への攻撃に対する怒り
みたいなイメージ……かな。
怒りは二次感情って言うけど、
不快なものは不快で、不快だなって思ったら反射的にイラッとしたり(怒ったり)するのは当たり前じゃない?
不快という感情は、不快という感情なのであって。
悲しいとか傷つくとかで説明出来ない不快さがあるわけで。
で、そういう不快感を表す方法とか態度、
ムッとした表情とか、低くなる声色とか、乱暴な言葉遣いとか、
そういうのを色々ひっくるめて、"怒り"として認識されるわけだけど、
それって二次的なものには思えないんだよなぁ。
傷つくようなこと言われてイラッとするのも、
よくある"怒りは二次感情説"では、
傷つくようなことを言われる→傷つく→イラッとする
というシステムである、と解釈されるわけだけど、
いやいやいや。
そんなことなくない?
私にもそんな瞬間もそんなお年頃もありましたよ、そりゃ。
傷つくようなこと言われて素直に傷ついてたことが。
今でもありますよ。
内容や相手によってはそりゃ傷つく。
でもそういう時はイラッとはしないよ、正直。
傷つくな〜悲しいな〜
って素直に思うよ?
それに、イラッとする時って、正直、傷ついてない。
たとえば、高圧的な話し方しかできない会話が成り立たない人に、お前はこれがダメだあれがダメだって言われるみたいに、
もともと嫌いだなーとか、イヤな人間だなーって思う相手に変なこと言われても、
そんなに傷つきはしない。
ただコイツ嫌なヤツだなめんどくせーなって思ってイラッとするだけ。
たとえば、仕事の質問してんのにそんなんじゃこの先やってけないぞってブチ切れられるみたいに、
なんかへーんな言いがかりみたいな論理破綻した非難とか人格否定されても、
そんなに傷つかない。
コイツ頭いってんなウザイなって思ってイラッとするだけ。
そういうイライラとか怒りって、二次的な感情というよりは、
一次的な感情だと言われた方が納得感ある。
ストレッサーに対して反射的にストレス反応を示してるだけって感じ。
そういう怒りって、むしろ必要じゃない?
そういうことに対する怒りを話すと、
嫌な顔されたり逆に非難されたりするんだけど、
え、そこに怒り感じちゃダメなの?
私がそうやって無駄にストレスを感じることを、
許容しなきゃダメなの?
なんのために?
………。
なんか愚痴くさくて感情的に見える文章になってきたけど、
私は真剣に心の底から、
そういうとこ疑問に思う。
なぜ、自分にストレスしか与えない人間の、
何の努力もしないで八つ当たりするしかしない人間の、
ちっぽけでくだらないプライドとか劣等感の穴埋めのために、
八つ当たりされることを許容して、
八つ当たりに対する怒りを封じねばならぬのか。
理不尽に対する純粋な怒りでさえ、
二次感情二次感情…つって抑えねばならぬのか。
そういう一次感情としての怒りは、
表現して然るべきだし、会話に必要不可欠では?
うーん。
なんかまだうまく説明出来ない。
言葉でうまく説明出来ないとこを見ると、
私の思う"正当な"怒りも、"悪い"怒りと変わらず、
あんまいいもんではないんかなぁ。
まだ頭の中がうまく整理できてないみたいで、
何が言いたいんかよくわからん記事になっちまった!
同じようなテーマでもうちょいスッキリ書ける日が
つまり頭の中の謎が解明される日が
早いこと訪れますように!
今やうつ病患者は前向きでポジティブな人ばっかり説
Twitterでうつ垢を始めた私が最近思うこと。
それが、うつ病で苦しんでる人って、前に進もうとしてる、根が前向きでポジティブな人が多いなってこと。
もちろん個人差はある。そうじゃない人もたくさんいる。そうなれない人もたくさんいる。
でも、私がフォローさせてもらってる人は、そんな人が多いと思うのです。
もちろん、表面的にはそう見えない人もいたり、時期によってすごくネガティブに見える時も。
それでも、心の奥底では、
今の状況を変えよう、今の自分を変えよう、環境を変えよう、
って、必死にもがいてるように思えるのです。
もがいてるって、一般的にはあんまり良いイメージをもたれなかったり、避けられたりするかもしれない。
でも私は、もがくって、
ものすごく力がいることで、
ものすごく根気がいることで、
ものすごく純粋に前向きな人にしかできないことなんじゃないかな、と。
だって、もがくって、前を向いてないとできないことじゃない?
前を向いて、必死にどこかへ向かおうとする姿勢をもがくって表現するのであって、
後ろ向きに走ろうと必死になってる姿勢は、もがいてるというよりヤケになってるって表現する気がする。
ここは、人それぞれもってる言葉のイメージで違うので、私の特有の感じ方かもしれない。
でも少なくとも私はそんな感じを抱いてる。
普通の人は、もがくことすら出来なかったり、適応してるフリするしかなかったりして、
だから、ヤケにならずにもがけるって、ある種才能なんじゃないかな、と。
そんなことを思ったりします。
そして、そんなふうにもがける人だからこそ、うつ病になるのかな、と。
うつ病は我慢強くて真面目な人がなるって、最近はよく言われてて、
まあそれはそのとおりかなって思う。
でも、我慢強いだけじゃなくて、ほーんの少しずつでも今と違う方向、今より良い方向に進もうとする、もがける力があるっていうのも、
ここ最近のうつ病患者の特徴だったりするんじゃないかな?
というか、うつ病の治療に積極的に取り組んでいるうつ病患者の特徴なんじゃないかな。
だって、ただ我慢強いだけだったら、
もがかずに我慢し続けるだけだったら、
きっと治療にたどり着かないままになってしまう。
そして亡くなってしまったりするんじゃないかな。
それか、我慢するために自分を押し殺して、ただその場に適応してるフリだけして、
うつ病の診断はもらえないけどうつ病一歩手前、っていう状態のまま、生き続けてしまうんじゃないかな。
そう思うと、うつ病患者として治療に取り組んでる人達は、
すごく前向きなのかな、と。
それか、今もう1つ思いついたのは、
うつ病になった、診断されたことで、前向きになったパターン。
このパターンもあるかも。
うつ病と診断されるまでは前向きに考えることができなくて、
ただひたすら我慢することしかできなかった。
でも診断されて、その治療に取り組むうちに、前向きになってきた。
そういうパターンの人多いかも。
そして私もそうかも。
そう思うと、今確立されてるうつ病の治療って、そういう、患者が自然と前向きになれるような流れな気がする。
最初はとにかく最低限のことを目標に治療方針をたてるし、
医師も、現状でできそうな、最低限のことしか指示しない。(他は分からないけど私の主治医はそうです。)
当初は、復職の話とかしても、それはおいおいね、と、徹底的に、かるーくスルーされ、
まずはご飯を食べれる環境を整えましょう、
寝れない時が多かったら寝れるように薬出したり生活リズムに気をつけましょう、
くらいのことしか言われなかった。
それが悲しかったり寂しかったりもしたけど、そのおかげで、
生存するうえで最低限必要な、食と睡眠についてだけを重点的に考えられるようになり、
他のことを+アルファとして、ある程度軽い気持ちで考えるようになった。
当初、復職の話をしたがってた頃は、
働かなきゃ、○○しなきゃ、あれも出来てない、これも出来てない、でいっぱいだったけど、
治療と診察をとおして、
2食とれるようになったから次は3食目指す、
1日に1回寝れるようになったから次はちょっと時間を前倒しにする、
とか、これの次はこれ、次はこれ、って感じで、
コツコツ順番に、前に進んでいく感覚で生きれるようになった(なりつつある)。
だから、うつ病患者には、治療を真面目に受けるうちに、自然に前向きな考え方になってる人も多いのかもしれない。
だから、こうしよう、ああしよう、どうしたらうまくいくかな?っていう、
治療に前向きなツイートも多くなって、
それを見た私が、うつ病患者は前向きな人が多いなって感じるのかも。
なんか思考が整理できてなくてめちゃ長くなってきたけど、もう1つ。
人を励ましたり応援したりする人と、それが上手な人が多い。
それも、うつ病患者さんの特徴として私が感じてることの1つ。
これってめちゃめちゃハチャメチャにすごいことだと思う!
なぜなら、それができる人って実はあんまりいないんだなって、今の職場にいてて感じてたから。
そう、休職中の今の職場で驚いたことの1つが、
人のやってることをいちいちチェックしたりケチつけたりする人が多いけど、その一方で、
人を励ましたり応援したりしない人が多い!ってこと。
そして、たまーーーーにそういうことしてる人がいても、やり方がめちゃめちゃ下手!
申し訳ないけど、ほんとにほんとに下手なの!どうしてそうなる?!って言いたくなるくらい、ど下手!
褒めてるつもりなのはなんとなく分かるんだけど、
相手はけなされてるようにしか聞こえないよ?とか、
言ってる本人は、期待してるし応援してるからこそ注意してるって思ってるんだろうけど、
言われてる方からしたら、普通に叱られてる、怒られてる、嫌われてる、としか思えないよ?
って思うような励まし方、応援の仕方しか見たことがない!
まあ、この職場がちょっとアレなだけって可能性も否めないけど、(泣)
学生時代を思い返しても、やっぱり、
人を励ます人、応援する人、うまく励ませる人、うまく応援できる人って
けっこう貴重な、珍しい存在な気がする。
でも、私がフォローしてる人たちは、
お互いに励ましあったり、心配しあったり、いい事があったら祝いあって応援しあったり、ってことを、
けっこう日常的にやってたりする。
それって、これまた、ある種の才能じゃなかろうか。
だって、私の職場ではそんなこと起こり得なかったもの!(泣笑)
だから、Twitterのそういう温かくて前向きなツイートたちに、
私はすごく勇気と元気と幸せをもらってるし、
そんなツイートが多いうつ病患者の人たちのゆるーい繋がりが、
とても居心地よかったりします。
んー。
結局最後まで思考がまとまらんかったので、
締めがどうしようもない。
まあ、そんなすぐに思考がまとまったら、人間苦労しないし、
それができる人はただの天才か努力の天才なので、
私はぼちぼち、ちびちびと、
思考のアップデートを図りたいと思います。
今回書いた内容についても、
いつか何かと繋がって、
洗練された知識とか、生き方のコツになっていったらいいな、と、
そんな感じでブログも続けられたらいいな、と思います。
大学の成績評価方式が、うつ病患者に最適かもしれない説
最近は、
無理しないように、頑張りすぎないように、調子に乗らないようにと、
日々の活動量や頑張る量を、頑張って制限してる私。(自己矛盾( ´ ` )仕方なし。)
日々、体調や気分の浮き沈みに合わせて、
今日はこれをやったら合格🙆というラインを設けて、
それを超えたら、それ以上はできる限り何もしないで休憩するようにしてる。
そうしないと、
あれもこれもやらなきゃ、動けるうちに、と頑張って、気づかないうちに疲れがたまって、
その証拠に翌日以降何も出来なくなって、
その間に洗濯やらゴミ出しやらがたまって、あれもこれもやらなきゃ状態になって………
という負のループに陥っちゃうから。
これに気づいたのは、お医者さんに外出を勧められるままに外出した頃、今までにないくらい家が汚くなったから。
服が床に散乱し、ゴミが数回分出せずにたまり、流しに洗い物がたまった。(流しはいつものことだけど…(^^;;))
そして着る服がなくなったり食事を取りづらくなったりしてしまった。
てなわけで、絶賛活動量制限中。
これがかなりいい気がしてる。
活動量を制限することで、長期的に見ていい方向に向いていってる感覚がある。
でも、なかなか大変だったりもする。
なにせ、無理なく体が動くのが珍しいから、
今のうちに…!とか思っちゃうし、
何もしない時間が辛かったりするから。
なので私は、そろそろやめなきゃなって思ったところでツイートする。
今日はこれで終わり🙆と公言することで、皆に言っちゃったし、と潔く休憩しやすくなる。
皆にっていうほどフォロワーが多いわけじゃないけど、心の中で言ったり身内に言ったりするのとは違った感覚がある。
それに、自分がしたことを言葉で説明するのも効果的な気がする。
意外と活動してるなって思えたり、日々の活動量を把握できたりするし、体調が崩れた時に見返して、自分がしんどくなる活動量がどのくらいか知ることもできる。
あとホメ療法(もどき)になる。減点方式でなく、加点方式で、自分の生活を振り返ることができる。
そんなわけで、最近は、やりたい動きたい気持ちがあっても、
これ以上動いたら危険かもってちょっとでも思ったら、
やったことと今日は合格ってことをツイートすることも多い。
そんなある日、
毎度の如く動きたい欲が高まってて危険だと思ったので、
今日はやろうと思ってたこと以上のことができた。大学の授業だったら優がもらえるレベル!
って感じのツイートをした。
優か〜。優って言ったら80点以上だな〜。
すごいな〜自分。
ん?何この感覚??
自分のことすごいと思った???
てな感じで、自然と、自分のことすごいなと思えてる自分に出会えて、なかなかな衝撃を受けた。
だって、そんなことを自然に思えたことなんて、ほとんどないんだもの!
特にうつ病で仕事を休むようになってからは尚更。
自然と、働ける状態を基準に考えていて、
働けない・稼げない=マイナス(出来損ない、情けない、生きてる価値ない、など)
という構図があった。だから早く働けるようにならなきゃって思ってた。
でも違うんだよね。
たしかに、早く働けるようになった方がいい。お金を稼げるようになった方がいい。
だってお金がないと生活できないもの。生きていけないもの。
でも、ただそれだけ。
稼がないと死んでしまう、だから稼ぐ、ではない。
いわゆる普通の生活をするために、稼いだ方がいいから稼ぐだけ。
別にヒモになっても生きていけるし、誰かに養ってもらえば生きていける。何かしら自給自足で生きる術を身につけても生きていける。そもそも生活保護だけでも生きてはいける。
稼ぐのは、生きる上でmustだから稼ぐんじゃない。生きる上でbetterだから稼ぐんだ。
そっか。私、mustとbetterをうまく判別できてなかったのかもしれない。
だから、betterをmustだと思い込んで、自分を追い詰めてたのかもしれない。
大学の成績は、60点で可になって、単位をもらえる。
それ以上の点数をとっても、成績がよくなるだけで、もらえる単位が増えたりはしない。
つまり、単位を取るという点において、60点はmust。それ以上はbetterでしかない。
人生も同じように考えていいんじゃない?
生きるという点において、食べて寝てそれを続けられる環境を維持することはmust。それ以外はbetterでしかない。
従業員として生きるという点において、連絡をとれる範囲でとったり必要書類を提出したりするのはmust。それ以外はbetterでしかない。
余裕が出てきたら、
充実した人生を生きるという点において、何がmustなのかを模索してもいいかもしれない。
従業員として働くという点において、何がmustなのかを模索してもいいかもしれない。
でも、そういうことを考えるのは、たぶんbetterでしかない。
生存する、生きるという点において、
そして、うつ病患者として治療を受けるという点において、
充実した人生を生きることも、従業員として働くことも、mustではない。
うつ病患者として休職して生きるという点において、mustなのは何?
それは、たぶん、治療を継続しながら、できるだけ職場と連絡をとりながら、生き延びること。
それが、今の私のmust。
それ以外はbetterでしかない。
だから、それができたら可。合格。🙆
もしそれ以外のことができたら、自分に良、優、秀をあげよう。
合格以上だよ。ちゃんと通院して生きただけでも合格なのに、あなたは、それ以上のことをした。だから良い成績をあげるよ。
そう思って、自分にも、周りの人にも、接することができる日々が、いつか来ますように。
皆がそう思える世界が、ほんの少しでも、実現しますように。
公務員の療養補償請求についてちょこっとだけ調べてみた
始めに
なんだか仰々しいタイトルになってしまいました。
実は、公務員として働いていたのですが、適応障害やうつ病と診断され、2019年秋頃より仕事を休んでいます。
こんだけ長期間”無職”ではなく”休職”という状態でいられるのは、そういう理由からだったのでした。
もちろん休職できる期限はあるし、無給になる期限はかなり近づいてきているので、色々考えなきゃなーという状況です。
かといって、復職や転職について考えるには、なかなかいい情報が集まりません。
復職については、時短勤務から始める方法もあるような気がしていて、その期間や給料の額(満額はもらえないけど何割かはもらえる気がする)など、検索してもうまくヒットせず。
唯一それっぽい制度として、”試し出勤”という制度がヒットしましたが、それはあくまで復職前の段階の話らしいから、私が知りたい情報とはちょっと違う。
うーん、これはもしかして、内部資料にしか載ってないタイプの情報なのか…(-ω-;)?
と悩みつつ、”うつ”、”公務員”、”復職”、”転職”、”うつ 収入”、etc…
もはや復職といっさい関係ない情報も含めて、ネットを漁ってたら、なんとなく目に留まった情報がありました。
それが、公務災害の情報。
この ↑ ページに書いてある基準により、精神疾患が公務上災害に起因すると認定された場合、補償等を実施することができます。
これは、国家公務員災害補償制度という制度の一部を構成しています。
国家公務員災害補償制度というのは、おそらく、労働災害補償の国家公務員バージョンみたいなものですね。公務員には労働法界隈の法令は適用されないので、その代わりにあたる制度です。(細かく正確に見ると間違ったことを書いてるかもしれません。あくまで大雑把に私なりに解釈した概要を書いてますので、ご了承ください。正しくはリンク先等をどうぞ→国家公務員災害補償制度について)
(さらに、地方公務員はどうなの?って疑問もあるかもしれませんが、私はおおむね同じと考えていいかなあと思っています。もちろん細かく見ると違いはあるし、政令指定都市なんかは独自色の強い政策をとってることも多いです。ただ、基本的には国家公務員と同じような待遇であることが多いと思いますし、概要を理解するという目的であれば、国家公務員について調べる方が分かりやすいかなと思うので、私はとりあえず国家公務員の制度について調べることにしました。地方の組織構造ってのは、いまいちピンと来ない。)
ほえ~。
そんなのがあるのね~と思いつつ、気になったのは”補償”の文字。
今後の収入源をどうすれば生きていけるのか、なんてことが最近の悩みなので、”補償”がもらえるならもらいたい~と思い、ダメ元で、この国家公務員災害補償制度について、ちょこっとだけ、調べてみました。
国家公務員災害補償制度
大雑把に言うと、上述のとおり、労災の国家公務員バージョン。
(正確には上記リンクを参照ください。)
内容を引用するとこんな感じ。↓
国家公務員災害補償制度は、一般職の国家公務員(非常勤職員、行政執行法人の職員等を含みます。)が公務上又は通勤による災害(負傷、疾病、障害又は死亡をいいます。)を受けた場合に、被災職員・遺族に対し災害によって生じた損害を補償し、併せて被災職員の社会復帰の促進、被災職員・遺族の援護を図るために必要な福祉事業を行う制度です。
労働環境のせいで病気や障害になった場合、補償が受けられる、ということですね。
じゃあその補償って具体的になんぞや、というと、これまた上記リンクの引用(関係部分のみ抜粋)のとおり。↓
療養補償
公務上又は通勤により負傷し、又は疾病にかかった場合、治るまでの間、必要な療養を行い、又は必要な療養の費用を支給します。
休業補償
傷病補償年金
障害補償年金
障害補償一時金
介護補償
遺族補償年金
遺族補償一時金
葬祭補償
障害補償年金差額一時金
障害補償年金前払一時金
遺族補償年金前払一時金
予後補償
行方不明補償
外科後処置
補装具
アフタ-ケア
休業援護金
奨学援護金
就労保育援護金
傷病特別支給金
障害特別支給金
遺族特別支給金
障害特別援護金
遺族特別援護金
傷病特別給付金
障害特別給付金
遺族特別給付金
障害差額特別給付金
長期家族介護者援護金
このうち私に関係ありそうなのは、療養補償くらいでしょう。というわけで療養補償について調べてみる。
私的には、法令に基づく手続きについて調べるには、「法律→規則→準則→施行令→政令・通達」って感じで調べるのがベスト。(法律の構成を考えれば当然だし、公務員試験合格して1~2年公務員やってるなら、全員この考え方ができて然るべきだと思うのに、これが自分自身できて且つ指導できる上司先輩はあんまりいなかったりする。おかしい。そもそも指導するという概念がない。おかしすぎる。という愚痴はさておき。)
まあ、国家公務員法あたりかなぁと調べてみたけど、それっぽいのが見つけられず。まあじゃあ次は人事院関連から探そ…と思って探してみると。ありました。人事院のHPで法令をまとめてくれてる超親切ページが。
このページを見てみると、「国家公務員災害補償法」というのがありました。ただ、中身はさっき見たリンク先とほぼ同義。さっきの制度説明は、この法律からきてたんですね。
このページをさらに見てみると、災害補償に関する法規令がまとまった部分があります。ここを調べていくと、この記事の最初に引用したページ(精神疾患等の公務上災害の認定について)やら、請求書の様式(https://www.jinji.go.jp/kisoku/tsuuchi/16_saigaihoshou/1602001_H14kinho182bessi1.pdf)やらが出てきました。
医師や薬剤師の証明をつけて、請求書を提出せねばならんようです。
この医師の証明、きっとお金かかるよね?
てことは、事前に組織の担当者(たぶん偉い人)と担当医師に、こういう請求書出したいです、認定されますか、って確認とらなきゃならんタイプな気がする。
というわけで、私の調べるタイムは終了しました。
補償は受けられない気がするので、これ以上調べても無駄かな、と思ったので。
今回は制度の存在と概要を知れたのが収穫です。
うつで補償は受けられる?
正確には分かりません。でも個人的には難しいかなあと。
なぜ補償は受けられないと思うかというと、
条件として、”個体的な要因・私的な要因により発症したと認められないこと”というのがあるからです。(精神疾患等の公務上災害の認定について 何回リンク貼るねん)
ここの部分を拡大解釈すれば、どんなパワハラセクハラがあろうと、認定しないことも可能でしょう。
それに、この条件が成立するかどうかを確認することは、組織幹部が現場に当時の状況を確認することを意味します。うつ病で休んでる下っ端職員の補償のために、自分たちの立場や経歴に傷をつけるような人間はいませんからね。周りにどれだけ嫌われようと、幹部や上司にだけはいいところを見せていい格好をする人の集まりにいたから、精神的に崩壊したわけでして。当時の職場はほんとうに人の運がなさすぎた!
まあ、本気で調査しようとすれば、当時の状況がひどい状況だったことは分かるでしょうが、これまた、幹部がそこまでしてくれるとは思えませんし、分かったとして、証拠として採用されるのは、周囲の正常な人の意見でなく、当時の上司の意見ですからね。文書主義ではそういうところは仕方ないのかもしれません。
そもそも、公務員というのは基本的に前例に則る生き物です。うつになったくらいで補償が認められるケースなんて、民間を含めてもめったにないでしょうから(実情はあまり知らないので今度調べてみようかな)、私の場合もまあ無理でしょうね。
障害者手帳を受け取るとこまでいくと、また話も変わってくるかもしれませんが、診断を受けて1年経ってないので、今のところ手帳等の取得は考えてません。転職にも良くも悪くも影響しますし。
もしくは、世間の流れが変わっても、話が変わってくるかもしれません。
終わりに
というわけで、公務員の公務災害と補償についてちょこっと調べてみたという記事でした。
うつ病患者として生きていくには、やっぱりこういう知識を蓄えていくことも大切な気がしています。いわゆる昔ながらの”世間”に迎合せずに生きていくわけなので、自衛の手段は持っておいた方がいい気がします。
なので、今後も、無理のない範囲で、ちょこっとずつ、色んな制度とかについて調べていこうかな、と思いつつ、面倒だし疲れるので、結局調べない気がする今日この頃でした。
家で体力維持
前回の通院時、お医者さんに体力戻しましょうと言われて2週間。
体力づくりのために、いつもより多めに外出。
2週間で3日ほど、
買い物に出かけてうろちょろしました。
結果。
体力(気力)が持たん。
(´-`)
買い物してぷらぷらしてる間はむしろ元気なんだけど、
帰宅後の疲労がすごい。
なーんにもできん。
おそろしいくらい何もできん。
そしてその後数日はそんな調子。
こりゃダメだ。
てなわけで前のブログで書いてた、
運動やるぞ〜の意気込みもすっかり息をひそめてしまった。
ちな前のブログ↓
ダンスなんてもってのほか。
買い物以外の日はずっと寝っ転がってる2週間だった。
おかげで家はぐちゃぐちゃ。
元からぐちゃぐちゃとはいえひどい有様。
そして洗濯もできないので着替えがなくなる惨事。
こりゃだめだ。
長時間の買い物、お出かけはやめた方がいい。
せっかくそれなりになりつつあった生活が、また破綻してしまう。
てなわけで軌道修正。
1日1運動という目標はできるだけそのままに、
1運動のハードルを、これでもかというくらい下げる作戦決行!
郵便受けまでエレベーターを使わずに歩いて往復
O脚改善トレーニング(ジャンプ20回)
一日中1度も寝っ転がらない
こういうの全部1運動!
しょーもな、それ運動か?ってレベルだけど、
そのくらいハードル下げまくらないと続かないのが
今の自分の体力。
かなしみ。
それに加えて、1日1仕事作戦も、
ここ数日なんとなく決行中。
1日にしていい仕事は1つまで!
洗濯
洗い物
掃除
料理
買い物
こういうの全部、1日1個まで!
(掃除は今のところできてないけども(´-`))
そうしないと、次の日にガス欠になるリスクが高いので。
そんな感じで
1日の活動量をなんとかしてコントロールするのが
治療の意味でも有効なんじゃないかなーと思い始めてる今日この頃。
でもなかなか気持ちが落ち着いてくれない。
やりたいやりたい
これもあれも
ってなりがち。
そしてdownするまでがテンプレ。
気持ちが体力や病状?に追いついてない感。
めちゃめちゃもどかしい!
むきー( ー̀ н ー́ )!
てなわけで、
こういうとこに書くことによって、
自分を納得させて、
なんとか気持ちを落ち着かせてみてるわけでした。
٩(๑`^´๑)۶ムキー!!!