なーさんCafe

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うつ休職中公務員。人生もがき中。超内向型。

怒りは二次感情説ってほんと?

"怒りという感情は二次感情です

悲しいとか傷ついたとかみたいな

一次感情に気づいてあげて

その感情をしっかり感じてあげれば

二次感情である怒りも

自然と収まります

一次感情を大事にしましょう"

 

そんな感じの"怒りは二次感情説"、

けっこう出回ってますよね。

これが発展して、

怒りという感情を肯定できない文化も盛り上がってる気がします。

 

私も最初この話を見たか聞いたかした時は、

なるほどたしかに🤔💡

と思いました。

 

でも最近、

なんかそれも違くない?🤔

と思うのです。

 

正確には、"悪い"怒りは、

"怒りは二次感情説"で対処するのが有効だけど、

"正当な"怒りは、

"怒りは二次感情説"で対処したらマズイのでは

と思うのです。

 

怒りにも、"良い"怒りと"悪い"怒りがあって、

"二次感情"である怒りもあれば、"一次感情"の怒りもあるはず。

 

それなのに、怒りを全て悪者にしてしまうことで、

正当な、感じるべき怒りさえ感じることができず、

ちょっとマズイ状態に陥ってる人も多い気が……。

 

怒らなさすぎることも、精神疾患の原因になる

みたいな話も聞いたことがあって、

それもそのとおりだと思います。

 

だから、

"怒りは二次感情説"やらその他の考察やら、

"怒り=悪"、"怒りは不要"

という価値観の広まりって、

なんだかちょっと拡大解釈されすぎてない?と思う。

 

そして、

世の中に広まる価値観を鵜呑みにしたり信じたりすると、

自分にとってはロクでもないことになるなぁと思って

ちょっと恐怖を感じます。

 

じゃあもうちょい具体的にどういうことなのか。

 

私の思う良い怒り、正当な怒りってなんなのか。

 

一言で言うと、

理不尽な出来事や不快な出来事、自分への攻撃に対する怒り

みたいなイメージ……かな。

 

怒りは二次感情って言うけど、

不快なものは不快で、不快だなって思ったら反射的にイラッとしたり(怒ったり)するのは当たり前じゃない?

 

不快という感情は、不快という感情なのであって。

悲しいとか傷つくとかで説明出来ない不快さがあるわけで。

 

で、そういう不快感を表す方法とか態度、

ムッとした表情とか、低くなる声色とか、乱暴な言葉遣いとか、

そういうのを色々ひっくるめて、"怒り"として認識されるわけだけど、

 

それって二次的なものには思えないんだよなぁ。

 

傷つくようなこと言われてイラッとするのも、

よくある"怒りは二次感情説"では、

傷つくようなことを言われる→傷つく→イラッとする

というシステムである、と解釈されるわけだけど、

 

いやいやいや。

そんなことなくない?

 

私にもそんな瞬間もそんなお年頃もありましたよ、そりゃ。

傷つくようなこと言われて素直に傷ついてたことが。

今でもありますよ。

内容や相手によってはそりゃ傷つく。

 

でもそういう時はイラッとはしないよ、正直。

傷つくな〜悲しいな〜

って素直に思うよ?

 

それに、イラッとする時って、正直、傷ついてない。

たとえば、高圧的な話し方しかできない会話が成り立たない人に、お前はこれがダメだあれがダメだって言われるみたいに、

もともと嫌いだなーとか、イヤな人間だなーって思う相手に変なこと言われても、

そんなに傷つきはしない。

ただコイツ嫌なヤツだなめんどくせーなって思ってイラッとするだけ。

 

たとえば、仕事の質問してんのにそんなんじゃこの先やってけないぞってブチ切れられるみたいに、

なんかへーんな言いがかりみたいな論理破綻した非難とか人格否定されても、

そんなに傷つかない。

コイツ頭いってんなウザイなって思ってイラッとするだけ。

 

そういうイライラとか怒りって、二次的な感情というよりは、

一次的な感情だと言われた方が納得感ある。

ストレッサーに対して反射的にストレス反応を示してるだけって感じ。

 

そういう怒りって、むしろ必要じゃない?

 

そういうことに対する怒りを話すと、

嫌な顔されたり逆に非難されたりするんだけど、

え、そこに怒り感じちゃダメなの?

 

私がそうやって無駄にストレスを感じることを、

許容しなきゃダメなの?

なんのために?

 

………。

 

なんか愚痴くさくて感情的に見える文章になってきたけど、

私は真剣に心の底から、

そういうとこ疑問に思う。

 

なぜ、自分にストレスしか与えない人間の、

何の努力もしないで八つ当たりするしかしない人間の、

ちっぽけでくだらないプライドとか劣等感の穴埋めのために、

八つ当たりされることを許容して、

八つ当たりに対する怒りを封じねばならぬのか。

 

理不尽に対する純粋な怒りでさえ、

二次感情二次感情…つって抑えねばならぬのか。

 

そういう一次感情としての怒りは、

表現して然るべきだし、会話に必要不可欠では?

 

 

うーん。

なんかまだうまく説明出来ない。

 

言葉でうまく説明出来ないとこを見ると、

私の思う"正当な"怒りも、"悪い"怒りと変わらず、

あんまいいもんではないんかなぁ。

 

まだ頭の中がうまく整理できてないみたいで、

何が言いたいんかよくわからん記事になっちまった!

 

同じようなテーマでもうちょいスッキリ書ける日が

つまり頭の中の謎が解明される日が

早いこと訪れますように!