なーさんCafe

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うつ休職中公務員。人生もがき中。超内向型。

「断薬+畑で躁鬱治った VS うつの断薬、ダメ!絶対」論争(?)から見る最近の世の中

以前、こんなツイートをしました。

 

このツイートをした途端、ぶわぶわーっと、

自分なりの色んな意見が出てきたので、

この後にも連続で、思いついたことをツイートしました。

気づいたらかなりたくさんツイートしてたので、

改めて記事にしてみようと思います。

 

ツイートでも長くなったので、

今回の記事も長くなるかもです。

(結果、かなり長くなってしまいましたので、ご注意ください…(;´・ω・))

 

 

断薬+畑で躁鬱治った

まず、話題となった元ツイートがこちら

 このツイートが、界隈でプチバズしてたところから話が始まります。

 

リツイート、いいねなどもかなり集めており、

うつ病界隈では知らぬ人のいないほっしーさんも

こんなコメントと共にリツイートしてました。

 

断薬、ダメ!絶対

これだけならいいんですが、

このツイートに対する批判ツイートがけっこう出てきたんですよね。

 

・断薬を勧めるなんてダメ

・素人が勝手に断薬が治療になるってことを事実のように語らないで

・このツイート見て断薬した人がいたら責任とれんの?

 

と、こんな感じ。

 

いわゆるプチ炎上って感じですね。

 

ツイート界全体で見たらプチでしたけど、

うつ界隈、精神障害界隈では、

かなりの話題性、騒動だったんじゃなかろうか、と思います。

 

界隈の人にはあるあるだと思うんですが、

そういう騒動っぽいのを見ると、

ハラハラドキドキして怖いですよね……(´•ω•`)

 

私もこの一連の流れを見ていて、心がザワザワしました。

やめとけばいいものの、

騒動の発端のアカウントを見に行ったりして、

かなりソワソワしましたソワ( •ω•` 三 ´•ω•)ソワ

 

どうしてもザワザワがおさまらなくて、

自分のできる限り冷静な意見を

つらつらとツイートすることで、

なんとか心を落ち着けたのでした……ε-(´-ω-`  )

 

私の当時の意見

私の当時の一連のツイートはこんな感じ↓でした。

できる限り冷静に書いたつもりですが、

見返すと全然冷静じゃないですね( ˊᵕˋ ;)

反省……。

|柱|ヽ(・_・`)

 

 

 

 

 

 

 

 

感情のコントロールの訓練が必要ですね…。

その方法も今後考えて調べて実践していきたい…。

 

それはともかくとして、当時の私が言いたかったことを改めてまとめてみると、

  1. リテラシーが低い人に合わせるのは義務ではない
  2. 批判は不要
  3. 自分が言いたいことは他人に言わせたり他人を批判することで言うんじゃなくて、自分で言えばいい
  4. 他人の考えや感情は他人には絶対分からない

て感じでしょうか🤔

 

時間も経って少しは冷静になれて、

簡潔にまとめられたんじゃないでしょうか。

そう思いたい(>_<)

 

実際に起きた(であろう)ことと、実際に言いたかった(であろう)こと

 

そもそも、元ツイから読み取れることってなんでしょう。

  • 元ツイのツイ主さんは、躁鬱と診断されていた
  • ツイ主さんは、約10年間躁鬱の薬を飲んでいた
  • ツイ主さんは長年(おそらく約10年間)精神科に通院していた
  • ツイ主さんは、おそらく、主治医に躁鬱は治らないと言われていた
  • ツイ主さんは、畑に出て土を触り始めて、約50日後に、躁鬱の症状が収まった

これが、元ツイから読み取れる事実(であろうこと)。

 

そして、読み取れる思考は

  • 坂口さんは、病院に通い続けても治らなかった躁鬱が、畑に出て治ったと感じた

ということ。

 

これだけです。

ある程度正確に読み取れるのはここまでです。

 

これだけ読めば、

良かったね元気になって

そのまま元気に過ごせるといいね

で済む話なのです。

 

ツイ主さんの回復を願って、

ツイ主さんが今感じてる充実感や幸福感をお祝いして、

それで済む、とってもHAPPYな話なのです。

 

素敵な世界😌

 

でも、これだけではすまなかったんですね…。

 

論争はなぜ起こるのか

上にも書きましたが、

・断薬を勧めるなんてダメ

・素人が勝手に断薬が治療になるってことを事実のように語らないで

・このツイート見て断薬した人がいたら責任とれんの?

みたいな批判が出てきて、

軽い論争みたいになったわけです。

 

それは何故か?

 

私が思うに、多くの人が元ツイから、

ツイ主が発してない言葉や意見を読み取ってしまったからじゃないでしょうか。

 

その読み取ってしまったものは、おそらく、

  • 断薬して畑仕事したら躁鬱治ったから、お前らも同じようにすればいいよ
  • 精神科医は当てにならないから、通院やめて断薬したらいいよ

という意見です。

 

ツイ主はそんなこと一言も言ってないのに、

です。

 

なんで、こんな勘違いをしてしまうんでしょう?

おそらく、今までの経験から、そういう勘違いが生まれてしまうんだと思います。

 

同調意識が強く、自己主張は悪、曖昧な表現が善。

日本の特徴としてよく言われることですが、

そういう文化の中では、

相手の意図するところを(言ってもないのに勝手に)読み取って、

それに従ったり応じたりしないと生きていけないです。

 

そしてその意図するところとは、

自慢や批判、同調しろという圧力、俺が正しくてお前は間違い、

というような、嫌らしい内容であることが多かったりして、

その意図を読み取って、相手が望む形で応じなければ、

仲間外れにあったり、意味もなく怒鳴られたり、会話が成り立たなかったりします。

 

そういう文化の中で必死に生き抜いてきた人達には、

相手の意図するところを"勝手に"、"独善的なものとして"、判断することが

癖になってしまってるんだと思います。

 

そうしないと生き抜いてこれなかったんだもの。

 

そして、その環境を抜け出したとしても、

その文化と全く無関係の人に対しても、

同じように接してしまう。

 

その結果が、

・断薬を勧めるなんてダメ

・素人が勝手に断薬が治療になるってことを事実のように語らないで

・このツイート見て断薬した人がいたら責任とれんの?

なんてことを言って、

元ツイで言及されてないことまで、まるで言及したかのように非難する、

という行動に表れてしまったのだと思います。

 

他人の人生を理解するのは難しい

これに似た現象、つい最近起こったなーと思ったんです。

それが、コロナによる外出自粛警察の問題です。

 

”営業”に関する自粛警察の残酷さや異常さは、

かなり話題に取り上げられ、問題視する人も多くいました。

 

でも、その前に頻発していた、”外出”自粛警察についても、

もうちょっと問題視されてもいいんじゃないか、と私は思います。

 

有名人が、外出自粛期間に外出している人を咎めるツイートや動画を

次々にアップし、コメントを発信していました。

あれ、ちょっと違和感を感じた人いなかったでしょうか。

私は感じました。

 

色々事情があれど、外出はできるだけ控えてほしいですね

と言うだけならまだしも、

カフェで談笑してる若者カップルがいてガッカリした、絶望した、と怒って、

私達はあの人たちのようにはならないようにしましょう、

とファンを扇動する。

それにつられたファンが調子に乗って外出自粛警察を始める。

それってどうなんでしょうか。

 

たしかに、外出自粛を要請された以上、ウイルスの感染拡大を防ぐために、

外出を自粛すべきなのは事実です。

何の危機感もなく、外出しまくるのはよろしくないと思います。

 

でも、それって、外出しなくても生きていける人だから言えることです。

 

私は、外出するのが好きじゃありません。

出来れば年がら年中家で過ごしたいし、

仕事も全て家で完結させたい。

週に2-3日、カフェやちょっとした買い物に行くときに外出するだけで、

外の空気はお腹いっぱい。

 

だから、外出しなくても生きていけます。

全然平気です。

むしろ、外出自粛ムードは、私にとってはご褒美に近い。

 

でも、世間の人達は違うらしいですね。

コロナで外出できなくて鬱っぽくなる人が続出!

とかいう記事を見て、仰天しました。

そういう人がこの世にいるんだ、と思いました。

 

と同時に、そういう人がいるってことは、私とは正反対に、

外出しないと生きていけない、外出自粛ムードは地獄!

って人もいるんじゃないか、とも思いました。

 

私達、引きこもり万歳勢がいっぱいいるように、

外出万歳勢もいっぱいいるんじゃないかと。

 

そう思うと、外出自粛を呼びかけまくる風潮、

カフェで談笑してるだけの若者が批判される風潮は、

外出万歳勢にとっては残酷で無慈悲なことだっただろうと思うのです。

 

ある有名人が咎めた、カフェで談笑する若者、

彼らは、外出万歳、外出できなくて家にこもってたら死んじゃうって人だったかもしれないのです。

その人たちを責めるのって、違うんじゃないかな。

少なくとも、賞賛されることではないような。

 

毎日どっかに出かけてないと苦しくて苦しくて死んじゃうって人が、

2週間は我慢して外出を控えて、

もう我慢の限界だ!と思って外出したところを見ただけかもしれないんです。

 

そこまで我慢して、

でも自分の精神的健康を維持するために、最低限の外出ですませようと

必死に努力してるかもしれないのです。

 

まあ、極端すぎる例ではありますが、

それに近い心境の人はけっこういるんじゃないでしょうか。

 

道端でたまたま見かけただけのそういう人の行動について、

その人の努力の結果を批判して咎める資格がありますか?

その批判が、どれだけその人を傷つけて精神的な健康を脅かすか。

 

そう考えると、外出自粛警察も、

根っこに潜む問題はなかなかに根深く、恐ろしいものだと思います。

 

他人には、他人の心情や努力や苦しみなんて完璧には分かりっこない。

毎日会って話をしてるような相手でもそうなのに、

まして、ツイートを見てるだけの人や、街でたまたま見かけた人の感情や苦しみや努力なんて、

絶対に分からない。

 

でも、分かった気になって、つい批判してしまう。

 

事実は

  • 他人がカフェで談笑してる

ということだけなのに、

勝手に、

  • 外出を自粛せず、好き勝手に外出してる
  • 皆が苦しい状況の中、自分だけはイイと思って楽しんでる

と思い込んでしまう。

 

平均的な感覚を持ってる人は、他人のことを、

自分や今まで出会ってきた人と同じ、平均的な感覚の持ち主だと思い込んでしまう。

その結果、相手の感情や意図を、勝手に推測して誤解してしまう。

 

事実は、

外出万歳勢だけど自粛しまくって我慢の限界が来てる

のかもしれないし、

仕事で仕方なく付き合ってる

だけかもしれないし、はたまた、

若者カップルに見えて、同居してる夫婦で食事に来ただけ

かもしれない。

 

外出自粛とはいえ、

同居夫婦が換気してるカフェで食事するなら

無問題ですよね。

 

他人のことなんて、結局分からないんです。

分からないのに勝手に勘違いして、上から目線で批判したり助言したり、って、

かなり痛いし、恥ずかしいことな気がします。

 

私は、

今回取り上げたプチバズツイートと、外出自粛警察問題で、

自分の今までの痛い言動や恥ずかしい言動を思い出して、

1人でうわあああってなってました。

 

反省

|柱|ヽ(・_・`)

 

最近の世の中の生きづらさ

そう考えると、最近よく起こる世の中のいざこざって、

もしかすると多様性の広まりがきっかけなのかもしれません。

 

多様性を認識し合って認め合えれば最高だけど、

お互いに自分にない多様性を認識できてなくて、

誤解や思い込みが広まって、

それを素に論争が広まって…。

 

そんな感じなのかもしれません。

もちろん想像でしかないし、起こってる出来事のごくごく一部を私なりに解釈した結果でしかないですが、

個人的には、この想像、わりと腑に落ちています。

 

そして、自分自身が感じてる苛立ちやストレスも、

無意識のうちに、多様性を無視してる結果だったりするのかな…とも思ったり。

ストレスを減らしたり解消したりする手段の一つとして、

この考え方は利用できるかもしれません🤔

 

とりあえず、現段階で思考を深められるのは、

ここまでが限界みたいです。

 

今後も似たようなことがあったら、

こうやって思考を深めていって、

ブログに書いていけたらと思います。

 

こんな長文読んでくれる方が果たしているのか疑問ですが…。

まあ、大いに自分のためになってるので、読まれなくてもいいかということで。

 

読んでくださった方はありがとうございました。

そしてお疲れさまです。

 

またどこかの記事でお会いしましょう!

 

 

 

 

もし私のツイート気になった方がいたら、こちらをどうぞ