なーさんCafe

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うつ休職中公務員。人生もがき中。超内向型。

うつ病という生き方

うつ"病"とは言うけれど、
これは"病気"というよりは、
もはや自ら選んだ"生き方"なのかもしれない。

 

ここ数日になってようやく、

何もしない時間に耐えられるようになり、

なんとなくボーッと考え事をできるまでに回復してきた。

 

経験者にしか伝わりづらい感覚だろうけど、

ただ時間の使い方が変わったとか

暇に慣れたとかではなく、

症状がだいぶ回復してきたんだと思う。

("ちょっと"ではなく"だいぶ"だということも、やっぱり感覚としては伝わらないんだろうな)

 

ボーッとする時間は好きだった。

思考の海を漂ってるみたいで。

すいーーー      っと、

自由にどこへでも泳いでいけるようで。 

その感覚が好きだった。

だからボーッとできるようになってきたのは嬉しい。

 

調子がかなり悪い時は、

せかせかしててボーッとはできなかった。

ちょっと調子がよくなっても、

ボーッとし始めた瞬間に

恨み辛み怒り悲しみ苦しみ孤独……

みたいな負の感情の塊が

ぶわぁ!

っと押し寄せてくるような感覚があったりして、

号泣か布団の中にうずくまることしか

できなくなったりした。

空白の時間が怖くておそろしくて苦痛だった。

 

それがここ数日、

"ボーッとする"ができる日が出てきて、

やっぱりどうしても

職場のこととかお金を稼ぐこと、

今までの人生これからの人生、

仕事を休む直前のことを考えてしまって、

くらーい気分になったりして。

 

そんな時にふと、

うつ病って、病気っていうよりも生き方なのかな、と、

言葉が浮かんできた。

 

自分でも何を言ってる(考えてる)のかよく分からないまま、

言葉が"ふうっ"と浮かんできた。

 

ふむ。

言われてみればそうかもしれない。

(誰に言われたわけでもなく

自分の頭に浮かんできた言葉だけど)

 

いいネタを仕入れた、と言わんばかりに、

私の頭が喜んだ感じがした。

浮かんできた言葉の意味を考えたくなって、

気づいたら

自分の思考の海を泳いでいた。

 

 

うつ病は病気だ
だから治療すれば(ある程度)元に戻れる

 

そう言う経験者もたくさんいる。

(完全にではなく、ある程度しか戻れないというのは、界隈ではほぼほぼ共通認識である。)

今では、

経験者以外にもこの認識は広まって、

何の知識も経験もない人でも

堂々と悪びれず、

まるで知ってるかのようにそういう言葉を口にする。

 

でもなんか違う気がする。

うつと診断される前もされてからも、

私はそう言う言葉に違和感を持っていた。

 

というより、

それを言う人たちの言動や態度、雰囲気に

違和感を覚えていた。

 

私はこの人たちみたいになりたいとは思わない

幸せそうじゃない

つらそうに見える

 

そう思ってた。

 

治療の目指すところってコレなの?

うつ病にならないためにはこうならなきゃいけないの?

 

 

コロナの影響で不安で落ち込んだ自分の気持ちを落ち着かせるためだけに、同じように不安でたまらなくて弱音を吐いた人を切り捨てるような言い方で傷つけて

何もしないで見て見ぬふりをして、助けを求める声を無視して助けを求める手も振り払って

転んだ様子を見ても何もしないわりに可哀想とだけ言って善人ぶって

 

慕ってる相手につらくあたって、後悔して優しくしてももう相手にしてもらえなくなって

好きな人や話したい人が嫌がることしか言えないしできなくてそのせいで嫌われて

自己主張することしか知らなくて話を聞けなくて、だから誰がどう思ってるか分からなくて知らないうちに皆に嫌われてて、それだけは薄々気づいてて

どっちつかずな態度をとることでしか自分を守れないから、いざという時に誰にも味方になってもらえなくて

 

 

それが

うつ病にならない

元の状態に戻る

ってことなの?  

 

 うつ病にならない

っていうただ一点のためだけに

あの人たちみたいに生きなきゃいけないの?

 

それなら、

治療しなくてもいい。

 

あんな風になるくらいなら

うつ病になってもいい。

うつ病の今のままでいい。

 

 

 

思考の海の奥深くに

そんなことを思ってる自分を見つけて、

スッと血の気が引いた気がした。 

 

 

 

うつ病になってもいい
うつ病の今のままでもいい

 

とんでもない

おそろしい考え方だと思った。

全てを放棄しかねない、

ファンタジーで儚くて危なげで現実離れした思想な気がした。

 

それと同時に、

ものすごく現実的で生々しくて人間くさくてリアルな想いだとも思った。

 

あんな風になるくらいなら

うつ病になってもいい。

うつ病の今のままでいい。

 

それって、

もはや病気というより

人生の生き方の選択なんじゃないか。

 

もちろん、他の患者は違うかもしれない。

 

でも、

少なくとも私は、

自然発生的にうつ"病"を患ったんじゃなくて、

うつ病という"生き方"を、

自ら選んだのかもしれない。

 

病は気から

なんて言うけど、

そのとおりなのかもしれない。

 

きっと、

他の道を選ぶこともできた。

きっと、

うつ病にならずに生きていく方法を選ぶこともできた。

それでも、

他の道を選ぶという決断はできなかったから、

うつ病になった。

 

言い換えれば、

他の道を選ぶという手段で、

うつ病にならないという結果を得ようとはしなかった。

 

さらに言い換えれば、

仮に他の道を選ばなかったらうつ病になるとしても、他の道は選ばない

という道を選んだ。

 

なかなかに論理の飛躍はあるけれど、

 

私は、

うつ病になる道を選んだ。

 

 

これは全ての患者に当てはまることじゃない。

というか当てはまる患者は稀だろう。

誰も病気になりたくてなってるわけじゃない。

私だってなりたくてなったわけじゃないし、

他にいい道があるなら他の道を選びたかった。

 

でも、

何はともあれ、

結果として、

私はうつ病になる道を選んでうつ病になった。

 

 

"病気"として治療するのか
"生き方"として付き合っていくのか

 

私はうつ病になる道を選んだ。

 

そうなのかもしれない。

 

真意は本人にしか分からないとか言うけど、

私にも真意は分からない。

私の意思がこの結果を産んだのか、

意思がどうであれ環境のせいでこうなったのか。

そんなの誰にも分からない。

意思なんて環境なんて、

理数系の実験のように明確に定義できるわけでも計測して数値化できるわけでもない。(今の技術ではまだ)

 

結果として

私はうつ病と診断された

という事実があるだけ。

 

じゃあその事実を踏まえてどうするか。

 

"病気"として治療するのか

"生き方"として付き合っていくのか。

 

どちらの道を進むのか。

それも結局、

きっと私が決めることになる。

 

選択の時が

刻一刻と

体調の回復とともに

近づいてきている。